■アジア政経学会優秀論文賞
 

第11回優秀論文賞選考理由

改革開放後、中国の農業部門は、先行的な改革により、生産性が大幅に上昇すると同時に、非農業部門の就業機会が飛躍的に拡大した。しかし就業・教育などの機会の不平等や社会経済的環境の地域格差が、農家間の所得格差の拡大を助長しているのも事実である。本論文は、内陸地区である四川省の農村をケースとして取り上げ、「農村工業化は農家所得の不平等の重要な要因である」との仮説のもとに、農家間の所得格差を規定する諸要因、なかでも農村工業化と関連する農村地域の就業機会及び郷鎮企業労働生産性の地域格差に焦点を当てて、定量的な分析がなされている。

所得格差の決定要因を探るにあたり、変数の導出、先行文献との関係、利用するデータの特徴も丁寧に記述されており、決定要因と所得とを回帰させることで所得格差の要因を分解し、農家の属する地域の農業工業化が最大要因であることを実証している。全体として、個票データを利用した労作であり、手堅い実証作業を通して、明快な結論を導いていると評価できる。

ただし、選考過程においては、次のような意見があったことを付記しておきたい。本論文は経済学の専門誌でも掲載される可能性があると評価できるが、地域研究分野の学術誌である『アジア研究』においては、仮説の検証作業にとどまらず、たとえば、四川省の実情に照らし合わせて、より現実的に問題を掘り下げるような作業がなされるべきである。このような作業を通して、ユニークなインプリケーションを打ち出すことができれば、本論文に対してより高い評価が期待できよう。

(優秀論文賞選考委員会 大橋英夫)


第10回優秀論文賞選考理由

現代中国政治において、政治体制改革と共産党のガバナンスの相関関係は、きわめて重要なテーマになっている。とくに地方の人民代表大会選挙は、共産党のコントロールの下で国民の政治参加を進める実験的な役割を果たしているといえよう。しかし従来の人民代表大会選挙に関する研究は、共産党にとって有効な選挙制度の構築方法、運営方法などに関する研究や、その反対側の視点から民主化の萌芽として単純に評価する研究が中心であった。それに対して本論文は、2003年の北京市区人代直接選挙における「自薦候補」を取り上げ、選挙民・候補者による利益表出の意義と、それに対する共産党のコントロールを立体的に分析したユニークで優れた研究である。また同時に多くの選考委員から、専門外のものにもわかりやすく整理された記述であるとの評価も得た。

分析の資料としては、数多くの中国語文献を使用し、また選挙関係者へのインタビューも多用していることが特徴である。本論文によって明らかにされたものは、以下の諸点であろう。1)北京市における地方人代選挙の組織、実施手続き、また実施過程における党のコントロール方法を解明したこと、2)「自薦候補」の多くは政治参加自体を目的としたが、選挙民は彼らを利益代表としてとらえており、この状況によって「自薦候補」が将来利益代表になっていく可能性を指摘したこと、3)党は「自薦候補」を認めながらも、その活動を党の許容範囲内にコントロールしているが、その範囲は場合によっては柔軟であり、変化し得ることを指摘したことである。

中国政治における共産党のガバナンスは、市民意識の変化によって複雑な対応を迫られている。本研究は、北京市における地方人代選挙の分析を嚆矢として、現代の中国共産党が如何にして統治の正当性を確保していくかとの大きなテーマに発展していく可能性を含んだものである。

(選考委員会委員長・滝口太郎)


第9回優秀論文賞選考理由

 近年、経済学分野では情報の非対称性や取り引きコストに関連した理論が急速な進歩を遂げており、とりわけ市場機能が未発達もしくは脆弱な途上国についてはこれらによって多くのメカニズムが解明されつつある。ただし、実際に豊富な実証があるかといえば必ずしもそうとはいえない。第9回優秀論文賞に選ばれた張馨元「中国のトウモロコシ流通市場における『経紀人』の役割−吉林省の事例」は、2004年の中国の食糧管理政策の転換後、とうもろこしの主産地である吉林省の流通メカニズムがどう変化したか、主として経紀人と呼ばれる仲買人が市場化に対して果たした役割について実証的に研究した成果である。
 手法は実地調査とアンケート調査で、2004年以降の流通自由化において、「経紀人」が競争的市場価格の形成、食糧流通システムの効率改善、零細農家の経営支援などに貢献したことを実証しようとした。特に1)実地調査やアンケートによる一次資料を利用して手堅くまとめたこと、2)仲買人が取り引きに積極的な役割を果たす、とする1980年代以降の一般論を踏まえながら、市場化という文脈の中で捉えたこと、3)競争的市場価格の形成、食糧流通システムの効率改善、零細農家の経営支援など複合的でバランスのとれた検討を行っていること、などの点が高く評価された。今後はアクター論に止まることなく、P.Bardanなど、経済開発と制度に関するミクロ経済理論などにも目配りした実証への発展が期待できる。

(選考委員会委員長・深川由起子)

優秀論文賞受賞の言葉                 東京大学大学院  張馨元
  このたび、拙稿が学会優秀論文賞を頂けることは望外の幸福です。まず、選考委員会の先生方に心よりお礼を申し上げます。  私は大学院で中国のトウモロコシ産業について研究しており、2006年から同産業の発展に関する現地調査を実施してきました。調査の中で、食糧流通体制の自由化が実施された2004年以前から、主産地のトウモロコシ流通市場において、民間セクター、とりわけ現在「経紀人」と呼ばれる仲買人が活動していたことが明らかになりました。さらに、現在、主産地では9割以上の農家は国有食糧企業ではなく、庭先まで買付に来る「経紀人」にトウモロコシを販売しているということも検証できました。しかし、これまでの中国食糧流通市場に関する先行研究では、民間セクターを対象とする分析が十分に行われず、私は中国の農業・農村の発展状況を理解するために、トウモロコシ「経紀人」の役割を明白にすることが重要であると感じました。


第7回優秀論文賞選考理由

  平野悠一郎会員の論文は、現代中国の指導者層の森林認識のあり方とその背景を究明するというユニークなテーマを扱ったものである。論文は、現代中国の指導者層は「緑化祖国」という歴史的に一貫した共通した認識があることを指摘する。そして、森林の機能を物質提供機能、環境保全的機能、精神充足機能の三つに整理し、各機能についての指導者層の認識を歴史的に分析したうえで、その森林認識は、シャピーロの言うような特定個人のイデオロギーに集約されるものではないこと、また多様な森林機能を創り出すものであったという点でソ連・東欧における商品提供機能に特化した画一化とは異なるものであることを明らかにしている。さらに論文は、その森林認識には中国の基層社会の人々とは異なる「統治者」として森林を見る眼があること、すなわち、自らの政治的「正当性の確保」の観点から、指導者層によって森林の諸機能が価値づけられ、そこにさまざまな政治思想が利用されてきたことを主張する。  論文の最大の特長は、森林を見る政治指導者層の「眼」のありようというユニークな視点を設定し、それに深い分析を加え、指導者層から見た森林の役割構造を実証的に明らかにしたことであろう。それは政治と森林環境という二つの異なる領域を見事に結びつけ、中国政治研究における新しい研究領域を切り開いた優れた成功例を示したといえる。現在世界的に注目されている環境問題と政治との関係を考察していくうえでも、本研究は地域を超えた発展可能性と比較可能性を示している。今後は、現代中国における指導者層の森林認識を踏まえて、森林破壊の問題等も含めて森林政策の政治過程全体の実証的究明に引き続き研鑽され、新たな成果を出されることを期待したい。なお、『アジア研究』に掲載された今回の選考対象論文には優れた力作が多く、第一位と第二位の論文の評価は僅差であったことを付記しておく。

(選考委員会委員長・川井伸一)


第6回受賞作選考理由

 これまでのフィリピン政治研究は、パトロン・クライアント関係等の視点からする中央政治リーダーや地方エリートの動態分析が主流をなし、貧困層はその支配の客体または受動的な存在でしかなかった。日下論文はフィリピン政治における秩序構築において貧困層も主体的にコミットし、既存の支配的秩序に捕らわれながらも、それを部分的に改編させていく積極的な役割を果たす存在であることを掘り起こそうとしたものである。このような着眼点は従来のフィリピン政治研究史において等閑視されていた部分に新たな光をあてようとする積極的な試みとして注目される。
 日下論文はフィリピンの秩序構築における貧困層の主体的役割に注目しアプローチするにあたり、単なる事例の実証研究ではなく、独自の理論的枠組みを構築し、それとの関連で都市貧困層の役割を分析している。この点は本論文の最大の特徴である。すなわち、論文は従来の研究成果を踏まえつつ秩序構築実践を、@地方エリートが国家リーダーから自律的に域内住民を統制する秩序としての「地方権力秩序」、A国家リーダーが社会秩序を権威的独占的に構築するための実践としての「国家統制プロジェクト」、B市民組織と改革的な国家アクターによる民主的秩序構築の実践としての「社会改革プロジェクト」の三つに類型化し、それぞれの類型における都市貧困層の対応行動を仮説として提起する。そして都市貧困層である街頭商人のさまざまな対応行動の中心にかれらの賄賂行動(非公式的な制度としてのラガヤン制度)を位置づける。論文の分析は、街頭商人の実践(エイジェンシー)を通して、ラガヤン制度に対する二つのプロジェクト、すなわち街頭商人の活動を公認する保護令制定運動、および街頭商人の活動を排除する国家の政策がいずれも都市貧民層の抵抗運動によりともに頓挫していき、街頭商人のラガヤン制度は根強く継続したこと等を明らかにしており、街頭商人の政治秩序構築に対するコミットメントを動態的かつ説得的に実証している。
 日下論文はさらに街頭商人の秩序構築行動には、かれらの生活利益を維持擁護するという性格とともに、彼ら自身の利益を拘束する限界とジレンマを抱えていることにも注目している。例えば、かれらの非公式な賄賂行動が彼ら自身の組織の権威主義的性格を強化し、また彼らの利益の公的保障のための社会改革プロジェクトを阻害すること等である。従って、如何にすればかれらは腐敗汚職の源泉でもある賄賂行動を克服することができるのか。如何にすればかれらはその影響力を民主的秩序の構築に向けて発揮できるのかが課題となろう。これはフィリピンだけでなく発展途上のアジア諸国に共通する課題であろう。本論文の枠組みと分析結果は広くアジア地域研究における適応可能性や比較可能性を強く示唆しており、その面での研究の連携と発展が望まれる。

(選考委員会委員長・川井伸一)


第5回受賞作選考理由

現在、アジアでは東アジア共同体構築をめぐる議論が活発だ。日本でも積極論、消極論入り混じり、熱い議論がなされている。いずれにせよ、この問題にどのようなスタンスを選択するかが日本の命運に関わってくるであろうことは疑いない。しかし、アジアにおける共同体形成への動きは近年、突然現れたものではない。1950、60年代からアジアでは様々な地域主義の動きが見られ、多国間枠組みの創設が試みられてきたのである。
保城論文は、「実現することなく散ってしまったアジア地域主義の一つ」として、OAEC(アジア経済協力機構)を分析対象として取り上げ、日本は一般的にはこの構想に消極的であった、と見なされてきたが、日本がどのような立場でこの構想に臨んだのかは未だ明確な答えは出されていない、と指摘する。
保城論文が指摘するように、OAEC構想に対する日本政府の最終的な態度が決定されたのは1962年2月15日の閣僚懇談会であり、その決定とは直ちにOAEC設立宣言を行うことは時期尚早であり、OAEC設立の是非を問うことを含め閣僚会議など協議を行うための準備的会合を開催すべきだ、というものであった。
保城論文は、先進国入りを目指し、自由貿易を重視した池田政権の「外向き」な外交姿勢によって日本の動きを説明する先行研究の問題点を指摘する。さらに米国とアジア諸国という外部要因は、日本政府の決定に影響を与えてはいなかった、とも指摘する。
そのうえで、OAECをめぐる日本国内の政策決定過程を詳細に検証する。OAECを将来的にはGATT・IMFルールと抵触しない枠組みにするために、ECAFE域内の閣僚会議開催案を提案、支持する外務・通産・経企と、最期までそれに難色を示す大蔵・農林に分かれ、統一見解をまとめることができなかった。大蔵はOAEC構想に含まれる多角的決済機構を問題視し、未決済勘定の返済が滞りがちであったアジア諸国の中で、日本がさらなる外貨流出を招くような負担を背負うことを憂慮し、農林は日本農業の保護のため、アジア諸国から安価な農産物、特に米が大量に流入することが予想されるOAEC構想は阻止しなければならない、と考えていた。このような分析の上で、保城論文は、日本の中途半端ともいえる最終決定は国内各プレーヤーのOAEC構想に対する異なった利害関係から導き出された、妥協の産物であった、と指摘する。この部分がこの論文のハイライトである。
以上、述べてきた如く、保城論文は、現在の東アジア共同体構想に繋がる重要な構想でありながら、これまで研究されてこなかったテーマを「発見」し、外務省情報公開開示文書などを駆使し、克明に解明している。読了し、1960年代初めの日本においても、外務・大蔵・通産・農林といった関係省庁の間で、対外開放や地域協力をめぐって、今日と全く同じような議論がなされていたことに改めて驚く。今後の日本の対アジア地域協力の方向性を考えるうえでも、多くのインプリケーションが含まれている力作である。

(選考委員長・石井明)

優秀論文賞受賞の言葉                 東京大学東洋文化研究所 助教 保城広至
  このたび、『アジア研究』という歴史ある雑誌に拙稿が掲載されただけでも喜んでいたところ、さらに賞をいただけるとのこと、この上ない名誉を感じています。石井明選考委員長ならびに選考委員会の先生方には、心よりお礼申し上げます。
私が今回の受賞論文に代表される、1950、60年代における「アジアにおける地域主義と日本外交」を研究対象に選んだ理由は、現在人口に膾炙している「東アジア共同体」をはじめとする、アジア太平洋の地域枠組みの形成に興味を持ったからに他なりません。ただし多くの研究者が1990年代以降の現象に焦点を当てる中、それとは別の、皮相的な分析ではなく、一次資料に基づいた腰の据わった研究をしたい、そのような思いが研究対象を過去に遡らせました。その選択は正しかった、と今は信じております。1950、60年代はいわゆる「地域主義の第一の波」が押し寄せた時代であって、魅力的な分析事例に事欠かなかったからです。さらに言えば、2001年に施行された情報公開法は、日本外交の政策決定過程を追う上で、まさに行幸でした。今回の受賞論文に関しては、未だ誰も閲覧したことのない資料を多く利用し、1962年に盛り上がりを見せた「アジア共同体」構想が挫折に至るプロセスを、できる限り正確・精密に描き出そうと試みました。もちろん、豊富な資料に囲まれながら、この程度の実証研究しかできなかった、という忸怩たる思いもあります。
私が本論文で主張したかった点は、大きく分けて3つあります。一つは、この地域における貿易枠組みとしての「アジア共同体」の形成は、日本国内の農業問題から、不可能でないにしても極めて困難であった、という事実です。第二に、「アジア地域主義」のような経済的な問題に対する日本の態度を明らかにするには、外務省の態度を見るだけでは不十分で、通産省、農林省、大蔵省などの関係省庁の選好を浮き彫りにさせ、それらと実際の政策とを時系列的に結び付けていく必要がある、という点です。第三に、日本は対アジア政策でアメリカと協調しなかったことはなかった、という点です。すなわち、「アジア地域主義」か「米国との協調」か、という二元論は、日本外交史上においは存在しなかった、と言うことができます。これは現在の「東アジア共同体」を語る上でも、無視できない歴史的教訓なのではないかと思われます。
最後になりましたが、第一稿に対して有益なコメントをしてくれた匿名査読者、また初期の段階で建設的批判をくれた研究仲間、指導教授の山影進先生にも感謝いたします。今回の受賞は、これら多くの人々に支えられた結果に他なりません。



第4回受賞作選考理由

 従来、中国の労働組合=工会についての研究は、特定の工場の聞き取り調査の紹介を中心とするものが多かった。工会のあり方は中央政府レベルや労使間では大きな問題になっていたにもかかわらず、その基本的な問題点については、ほとんど日本に紹介されてこなかった、と言ってよいだろう。
 小嶋論文は、極めて鮮明な問題意識の下、工会をめぐる改革論議を手際よく整理し、どのような論争がなされているかを、現地の新聞、雑誌等に依拠しながら明らかにした労作であり、オリジナリティが高い。手短に紹介すると、まず、市場経済化が進むなかで、労使間対立が激化しているにもかかわらず、組織率が低下しているという、中国の工会が置かれた危機的状況を抉り出す。そのうえで、工会内部の改革論議を(1) 工会の構成員をめぐる議論、(2) 工会の幹部人事をめぐる議論、(3) 工会の財務制度をめぐる議論にわけて整理・分析している。結論として浮かび上がってきたのは、人事・財務の両面で依然として党・政府の一組織・一幹部としての地位に固執する消極的改革論と、党・政府から人事・財務の面で切り離された利益集団としての再生に工会組織存続の可能性を見出す抜本的改革論の狭間で揺れ動く工会改革の姿であった。
 小嶋論文は、工会改革の動きは、この二つの論議の狭間で遅々として前進していないように見受けられる、と指摘し、どちらの方向に向かうのかについては軽々に断定を避けており、それもこの論文の水準の高さを示している。議論の展開、論証の手続きなどにも無理がなく、説得力のある論文であることは選考委員が一致して認めるところである。  
 小嶋論文は「結語」で、一つ一つの改革論議に着目した時、その中に、体制の変容をも示唆する大きなダイナミズムを感じることができる、と指摘している。この問題の考察を進めることは、中国の今後の政治・経済・社会の動向を見極めることにもつながる大きな意義があるのである。その意味で、本論文は、中国の工会という特定の対象についての詳細な研究を通して、中国社会の変容と改革開放路線の行方、中国社会主義の変容という大きなテーマを意識した研究としても評価しうる。さらには中国に限らず、移行経済の下での社会主義国の労働組合のあり方を考えるうえでも示唆に富む論文である。一般的に言って、特定の組織、部門を対象にした研究はともすると精緻さのみが追求されて、その背後にあるより大きな、そして重要なテーマが見逃されがちであるが、本論文は個別研究の精緻さと、大きなテーマの両方を繋ぐことを意図した研究とも言えよう。もちろん、本論文では大きなテーマに対する考察は十分とは言いがたいものの、それは逆に小嶋会員の研究の今後の発展の可能性が大きいことを物語っている。
 以上の理由により、選考委員会は小嶋論文が第四回アジア政経学会優秀論文賞を授与するのに相応しい論文である、と判断する。

 (選考委員長・石井明)



第3回受賞作選考理由


 蒋介石政権時代の中国国民党の研究は、中国・台湾間の政治状況の変化をも反映して、近年、従来に比して事実関係を重視したより客観的かつ多面的なものとなりつつある。そのなかで、イデオロギーに縛られることの多かった時代の「通説」から解放され、さらにそれらに挑戦する研究が登場してくることは不思議ではない。樹中論文は、そのような新たな時代における中国政治思想・政治体制研究を象徴する論考といえる。
 樹中論文は、1920、30年代における蒋介石の独裁イデオロギーの形成・発展過程を分析し、蒋が外来の独裁理論であるレーニン主義とファシズムを独自の解釈によって取り入れながら国民党の革命戦略を強化していく過程とその特徴を描き出そうとする。本論文は、蒋介石の演説を中心とする一次資料を丹念に追いながら、蒋が三民主義を国家統合のイデオロギー的基盤として掲げつつも、レーニン主義とファシズムが持つ厳格な綱紀と組織、個人の自由の制限、エリートによる権力独占といった点を以党治国のモデルとして模倣的に取り込み、また、独裁政治を支える党、軍事組織、秘密組織についても、レーニン主義的原則とファッショ的行動様式を積極的に取り入れていった点を実証している。さらに、それらの受容の過程で、レーニン主義の階級闘争とファシズムの種族主義が選択的に切り捨てられ、両者の組織論、戦術論のみが集権政治のモデルとして合体的に導入されていく特徴が浮き彫りにされる。
 本来イデオロギー的に敵対するはずのレーニン主義とファシズムとの相似性については従来から種々の研究があり、また蒋介石によるそれら両イデオロギーの合体的受容についても、ある程度は認識されていた。しかし、蒋介石政権の独裁イデオロギーの性格をこういった視点に基づいて本論文ほど克明かつ真正面から取り上げた研究は他に類をみず、その点で同分野の研究に新たな光を投げかけたといえよう。また、これらの分析を通して、蒋の独裁政治を、全体主義的傾向を有しながらも、民衆を動員した「下から」の大衆運動に結びつけることができず、実際には軍事機構とテロ組織に依存する権威主義的支配であったと特徴づけている点も興味深い。
 さらに、蒋介石時代の中国国民党に関する歴史分析でありながら、「アジアの民族主義運動において、レーニン主義とファシズムがどのように選択的に取り込まれたか」という視点からの政治体制論としても高い水準に達しており、アジアの他の独裁体制との比較研究の可能性をも示唆している。
 審査委員会は、樹中論文を、成熟度が高く説得力のある文体とともに、上記のような明快な論旨を持ったスケールの大きい意欲的な論考として、今後の中国政治思想・政治体制研究さらには比較政治体制研究に多くの示唆を投げかけるものと高く評価し、全員一致でアジア政経学会の優秀論文賞を授与するのにふさわしい論文であるとの結論に至った。

(選考委員長・金子芳樹)



第2回受賞作 選考理由

  
 1997年の返還以来実施されている「一国二制度」下の中国−香港関係について
は、従来、自治や独自性の維持を志向する香港政府と、香港に対する制御と香港の国家への統合を志向する中央政府という構図で分析されてきた。確かに香港返還以前、中国政府は香港の内政、特に民主化に積極的に干渉し、民主化の進展を抑制してきた。しかし返還後の中央政府は香港政府に対する不干渉政策を貫いている。一方、返還後の香港政府も、大陸との経済協力のため大陸の内政に対する干渉や、中央政府による香港政治への干渉の要求を打ち出すようになっている。大陸で出生した香港市民の子女の香港定住を認めた香港終審法院の判決に対して、大量の新移民受け入れコストへの懸念等から、香港政府が全人代常務委員会に基本法の解釈権を行使し、判決を覆すよう要請し、全人代常務委員会もそれを受け入れたという「居留民事件」はその端的な例であろう。
 こうした中国−香港関係の変化は、従来の「統合を志向する中央政府」と「自治を志向する香港政府」という構図では捉えきれないことは明らかである。これに対して倉田論文は、中央政府と香港政府を、ともに香港の経済的繁栄・政治的安定を重視するアクターとして捉えることを提起する。倉田論文は、そもそも中国が「一国二制度」方式を香港に適用した理由自体、当時存在した中国−香港間のさまざまな政治的、経済的格差から香港が衝撃を受けることを防ぎ、香港の繁栄と安定を維持することにあったとする。そしてその後の政治・経済的環境の変化による「一国二制度」方式提案当初の前提条件の変化に対しても、双方ともに香港の経済的繁栄・政治的安定を重視し、変化に適応しようとしてきたこと、その結果、従来の構図とはまったく逆の「不干渉政策を貫く中央政府」と「中央政府の干渉を要求する香港政府」という両者の関係が展開されるようになったことを明らかにした。
 倉田論文は、以上のように、当初予測された構図とは全く異なる、ある意味では逆転した中国−香港関係が現在展開されていることを明らかにした。しかもその展開過程を、香港の繁栄と安定の維持という目標に双方が共通して行動したという視点から、一貫して説明することに成功している。今後の「一国二制度」研究に新たな視座を提供したことは疑いない。

 選考過程では、主として新聞資料に依拠した論拠の弱さに対する疑問等、いくつかの問題が指摘されたが、上述の成果や、中国−香港関係の変化を生き生きと描ききったことから、優秀論文に値すると評価し、冒頭の結論に達した。      

(上原  一慶)



第1回 アジア政経学会優秀論文賞 選考理由

(1)益尾知佐子「ケ小平期中国の対朝鮮半島外交 中国外交『ウェストファリア化』の過程」(掲載誌『アジア研究』第48巻3号 2002年7月)
選考理由
1978年12月の中共第11期3中全会が中華人民共和国の歴史の転換点となったことは多くの中国研究者の共通の理解となっている。同会議において、現代化建設が国策の中心にすえられ、以後、中国は階級闘争至上主義から離れ、改革・開放への道を邁進していった。外交の転換はそれよりやや遅れ、1980年代に入って、すべての国との友好関係構築をめざす「独立自主」外交が繰り広げられた。
益尾論文はこの1980年代の中国外交の構造的転換を「ウェストファリア化」と呼ぶ。「ウェストファリア化」とは、ある対象国に対して、階級主義政党指導者間の個人的信頼関係に基づいて下されていた外交的決定が、独自の情勢判断と自国の国益への認識に基づいて下されるようになる現象と定義付けている。
その上で、益尾論文は、中国の対北朝鮮外交をケースとして取り上げ、1970年代末からウェストファリア化が始まり、1992年、中韓国交正常化の決定により、ウェストファリア化が完成したとの仮説を立て、その立証を試みている。
選考委員会がこの論文に高い評価を与えたのは、次のような理由による。
まず第一に、中国外交の転換について、「ウェストファリア化」という極めて大胆かつ巨視的な仮説を提示したことである。確かに荒削りな面はあるが、鳥瞰的な視角で、真正面から中国外交を分析しようと試みたことは高く評価でき、中国外交の研究者に知的刺激と論争を引き起こす機会を提供したと言えるだろう。
第二に、結論の部分で、朝鮮半島との関係に関しては、「ウェストファリア化」の段階に達するのは遅く、1992年になってようやく実現したと指摘して、1992年まで韓国との国交樹立を行わなかった要因としては、1)朝鮮半島の安定化を重視していたこと、2)党指導者間の信頼関係に基づく北朝鮮との関係を重視していたことをあげている。しかし、その党際関係重視の外交姿勢は、朝鮮半島に関しても1992年には消えつつあったのである。なぜ中韓国交樹立が1992年なのかという問題についての執筆者の見解は説得的である。 
第三に、仮説の立証の過程で、いくつもの新たな知見を提示していることである。この研究テーマに関する内部資料が公開されていない状況下で、執筆者は公開資料の綿密な読み込みに加え、中国で関係者へのインタビューを行っており、それが新たな知見の提示を可能にした、といえよう。たとえば、中韓国交正常化にいたる経過から、中国と朝鮮半島の関係調整を推進したのは、中国指導部内では、李鵬・李先念を中心とする、いわゆる保守派のグループであったこと、1992年4月、訪朝した国家主席の楊尚昆が、韓国との国交樹立を行わないよう要請した金日成に対し、独断で承諾を与えたことなどは、執筆者が初めて学会に明らかにしたことである。
以上のように、本論文は大胆な論文の枠組みを提示するとともに、個別の新たな知見も提示しており、選考委員会としては、アジア政経学会第1回優秀論文賞を授与するのにふさわしい論文である、と判断する。                    (石井明)

(2)陳正達「台湾の石油化学工業の成立過程と産業発展メカニズム−第1ナフサクラッカーの建設を中心に−」(掲載誌『アジア研究』第48巻3号 2002年7月)

第1回受賞作 選考理由

 陳論文は、台湾の石油化学産業を分析した日本語では初めての本格的な実証研究である。石油化学産業・技術に関する基礎的な知識を踏まえた上で、台湾におけるその発展の特徴を1960年代にまで遡って丁寧にフォローしている。経済開発分野における具体的な産業研究のありかたを示したものとして注目される。今後の東アジア経済研究にとって、大きな貢献をしたものと評価できる。
 従来、台湾は輸出志向工業化による発展に成功した代表的事例として、描かれることが多かった。すなわち、比較優位に沿った労働集約的軽工業品の輸出によって牽引された成長モデルである。しかし陳氏は、1960年代初期から輸出志向工業化と並んで、台湾政府が第2次輸入代替工業化(重化学工業化)政策を強力に推進したことを、明らかにした。具体的には、1960年代から70年代初期にわたって計画・実施された第1次ナフサクラッカーとエチレンナフサクラッカーの発展過程の分析である。
 台湾の石油化学産業発展に際しては、わが国ではこれまで雁行形態論と複線的成長論が代表的な仮説として提案されてきた。前者の仮説に関して陳氏は、後方関連効果だけを重視するだけでは川上・川下部門の成立過程に関する検討が欠如すると批判している。また後者の仮説に関しては、高く評価しながらも、後方連関効果だけで労働集約的輸出産業と資本集約的中間財産業の同時発展を説明した点に弱点があるとして、工業化の初期環境、戦略産業の育成効果及び川上部門からのプッシュを同時に考慮した複線型工業化仮説を提示している。意欲的な仮説の提示であり、豊かな構想力を示すものである。
 プラスチック産業を事例にとり、仮に川下部門に十分な需要がなかったとしても、政府の政策(戦略産業の育成)と企業野需要予測に基いて、川上部門の産業が成立することを実証的に示した。とりわけ台湾のプラスチック産業が、川上・川中部門の公企業から事業を始め、需要を創出するために、川下部門へと多角化していったという指摘は、興味深い。
 利用されているデータや文献も、わが国における従来の台湾経済・産業研究では未使用のものがあり、この点も評価できよう。
 今後の課題としては、本論文と同程度の確度でもって、外資、中小企業の役割をも視野に入れた台湾産業分析を完成させることである。大いに期待したい。

(絵所秀紀)