■アジア政経学会優秀論文賞
 

第15回優秀論文賞選考理由

優秀論文賞選考委員会 高橋伸夫

フィリピンにおいては、近年、貧困削減が着実に進んでおり、それには農村部における教育水準の高まりが寄与していることが指摘されてきた。同国は1980年代以降、その経済水準からすれば比較的高い初等教育の水準を誇っており、また、途上国としては例外的に男性に比して女性の教育水準が高い特徴をもっている。しかし、最近では、就学率は下がりつつあり、また、いったん就学しても留年や中退などによって持続的な就学が困難となる問題が深刻化し、政策課題として認識されてきている。教育が持続的にならないのは、いかなる要因の組み合わせによるのであろうか。

本論文は、ジェンダーと世代間の教育水準の関係に焦点を当てて、この問題に取り組んだものである。分析に当たっては、教育需要の持続性は個人や世帯の主体的な連続する選択として理解しうるという仮説に立ち、逐次的な意思決定のプロセスを分析するために逐次ロジットモデルが用いられている。用いられるデータは、ミンダナオ島のプキドノン州南部において、1984−85年と2003年の二つの時点で行われた農村家計調査から得られたものである。

分析結果として、初等教育終了から中等教育終了まで、女性のほうが次の段階に進める確率が高いこと、初等教育入学後の段階に進めるかどうかは、母親の教育水準が父親のそれよりも重要であること、父親の教育水準は息子に対して、また母親の教育水準は娘に対してそれぞれ大きな影響をもっていることなどが示されている。筆者によれば、もしこのような現象が持続すれば、この地域において現存する「逆」ジェンダー・ギャップは維持・固定されてゆく可能性があるのである。

本論文は、既存研究の周到な吟味のうえに、(1)20年ほど時間差のある世帯調査を丁寧に統合して個人の長期履歴を捉えたデータセットを作成し、このような分析を可能としたこと、(2)各段階の入学と卒業を連続的に捉えた観察によって、既存研究がなしえなかった教育水準の差、入学行動と卒業(中退)行動の違いの総合的な検討を行ったこと、(3)得られた観察結果をミンダナオの産業構造や家族関係の特徴に結びつけた解釈を試みていること、などが高く評価された。

ただし、選考委員からは、ミンダナオの社会経済についてのより深い考察、またミンダナオを観察対象とすることの意義や動機についてもう少し踏み込んだ説明がほしいとの指摘、さらには、論文の最大の特徴である逐次ロジットモデルを用いたことではじめて明らかになる知見を、当該分野の既存研究との比較の中でより強調し、それがいかに研究対象地域にとって重要な知見であるのかを、より説得的に示すことができれば、論文の価値を一層高めることができたはずである、との指摘がなされたことを付け加えておく。

それにもかかわらず、フィリピン社会の一断面を堅実な実証分析を通じて明らかにしながら、それを社会構造に関する議論や政策のあり方についての示唆へと結びつけようとする「地域研究らしい」試みは高く評価できる。よって選考委員会としては、本論文を、アジア政経学会優秀論文賞を授与するにふさわしい論文であると認めるものである。


第13回優秀論文賞選考理由

優秀論文賞選考委員会 高橋伸夫

中ソ関係史の研究は、冷戦史の一部として、1990年代以降に利用可能となった中国、ロシア、および旧東欧諸国の文書館の所蔵資料を用いて多くの研究が積み重ねられてきた。だが、1950年代初めに生まれた中ソ同盟の基本的な性格をどうみるかについては、見解が分かれている。すなわち、ソ連がこの同盟をもってアジアにおける反米闘争の積極化を図ったとみる見解と、それとは逆に、ソ連がアジアにおける革命については関与を控え、その主導権を中国に委ねたとみる見解である。

本論文は、主として後者の説を検証するため、中華人民共和国成立直後に北京で開催された世界労働組合連盟(世界労連)アジア・オセアニア会議における議論を手掛かりに、中ソ分業体制の実態を解明しようと試みたものである。本論文は中国語とロシア語のアーカイブを利用して、同会議において中国代表が標榜した武装闘争路線が引き起こした波紋、世界労連アジア連絡局を北京に設置することへの中国の躊躇、そして1949年末までには同局が成立したものの、大きな役割を果たす前に有名無実化してしまう過程を明らかにしている。このような事実と経緯からみて、世界労連アジア連絡局は、1958年3月の解散までに、中ソ分業体制のある種の拠点として機能したものの、それをもって分業体制が成立していたとみなすことは難しいと筆者は結論付けている。

本論文は問題設定の大きさ、およびマルチ・アーカイブの手法を用いて手堅い実証が行われていることが高く評価された。議論の運びも無理がなく明快である点も、選考委員のほぼ一致して認めるところであった。ただし、ここで明らかにされた点は、当時の中ソ関係の一断面にすぎないものの、この限定された局面を全体に及ぶかのように解釈しているきらいがあるとの指摘が一部の選考委員から提起されたことを付記しておきたい。 それにもかかわらず、大きな問題意識をもって中国語とロシア語の資料に取り組み、「新しい冷戦史」を書こうとする試みは高く評価できる。よって、選考委員会としては、優秀論文賞を授与するにふさわしい論文であると判断するものである。


第12回優秀論文賞選考理由

優秀論文賞選考委員会 大橋英夫

ガーンディーの平和的手段による抗議形態は、しばしば闘争的非暴力と認識されてきた。しかしグジャラーティー語で再読すると、彼のセクシュアリティ認識における問題構成が見落とされていることが判明する。このような問題意識から、本論文は自己認識の変革に必要な私的レベルにおける宗教実践、すなわち「ブラフマチャルヤ」にみられる彼の思想的変遷を手掛かりとして、そのセクシュアリティ認識の変容を取り上げ、それが闘争性、男性性に根差す同時代のナショナリストたちの解放の言説と根本的に異なっており、非暴力ナショナリズムの思想的基盤となっていたことを実証しようとするものである。

 

本論文は、これまで解明が求められつつも、なかなか着手できなかった問題に真正面から取り組んでおり、ユニークなテーマ設定からも明らかなように、きわめてオリジナリティの高い論文として評価できる。分析の視角に斬新性がみられるだけでなく、一貫した論理構成を描き出しており、また手法としてもグジャラーティー語の一次文献に当たって丁寧に論証がなされるなど、論文としての完成度も高い論考となっている。もっとも、本論のポイントである晩年の実験にいたる変化の分析、また晩年の実験と植民地主義的な二元論の克服との関連の説明について、より緻密な考察が必要であるとの評価が選考過程で指摘されたことも付記しておきたい。

 

このような指摘にもかかわらず、近年のインド研究において丹念な資料分析に基づく論文が減少傾向にあるなか、本論文には新たな可能性を感じさせるものがあり、本賞の授与は同分野の若手研究者への励みになるものと考える。