優秀論文賞 選考理由/受賞の言葉

第20回アジア政経学会優秀論文賞選考理由

優秀論文選考委員会 三重野文晴

 本論文は、中国の移行経済下における失業保険制度の形成過程について、中央政府と地方政府の間に存した認識や志向の相違とその相互作用が、その過程を特徴づけたことを指摘するものである。
失業保険制度の導入に際して、中央政府は、改革の中で顕在化する余剰人員が労働市場で流動化していくことを想定して制度を構想したのに対し、地方政府・国営企業のレベルでは余剰人員を依然として企業内で再配置するべき人員として認識しており、それゆえに失業保険制度によって創出された政策の原資をどのように活用するべきかについて、中央-地方の間で思惑が大きく違ってきた。地方の現場では制度原資が失業者への生活保障よりは、余剰人員やレイオフ対象者(下崗者)に対する企業や地方政府における「再就職センター」などの事業に活用され、また、中央では省レベルに統合された効率的な保険制度が構想されていたにもかかわらず、現実には市レベルの統合に留まる運用となった。論文は、2005年に制度が全面的に刷新されるまでこのような構造が長く続いたことの背景に、中央-地方政府および中央政府内における制度のレントを巡る綱引きがあり、それに国営企業、労働者の認識や戦略も関係してきたと解釈している。
論文は、中国における失業保険制度の形成過程について鳥瞰的な整理を行った上で、遼寧省と上海市という産業構造と市場経済化の速度が大きく異なる事例をとりあげて丁寧に観察し、このような構造を読み解いている。
選考委員会では、本論文が、地方の政策文書を丁寧に読み解くことで、中国の市場移行経済下における失業保険制度の形成という重要な問題に対して、既存研究に欠落していた視点を指摘する学術的貢献をなしていること、分析の基盤として新制度論や経路依存性など背景の議論をしっかりと踏まえており、論点の整理が明確であること、さらに制度変遷の鳥瞰、各アクターの解説、2つのケーススタディーの位置づけを手際よくとりまとめて完成度の高い記述となっていることを評価し、優秀論文賞にふさわしいと判断した。
なお、論文は中央-地方、国営企業の構想や利害を客観的に析出することには成功しているものの、それを巡る政治・行政面での相互作用が具体的にどのようなものであったのかについて分析には踏み込めておらず、その点に課題が残るとの指摘もあった。こうした点は、今後に残された課題として、今後の研究の一層の発展を期待したい。

第20回アジア政経学会優秀論文賞受賞の言葉

許 楽

 この度は、第20回アジア政経学会優秀論文賞をたまわり、身に余る光栄に存じます。選考委員会の先生方をはじめ、論文の投稿から掲載に至るまで大変お世話になった編集委員会の先生方、大変貴重なご指摘をいただいた査読者の先生方、そして関係するすべての方々に、まずは深く御礼を申し上げます。この度の論文は、私の修士論文をベースに、博士課程の問題意識のもとで書き改めたものになります。修士課程から現在まで、私の様々な拙い発想に対して、いつも丁寧なご指導と暖かい励ましをいただいた指導教員、慶應義塾大学の小嶋華津子先生に、この場をお借りして、心から感謝を申し上げさせていただきます。
拙稿は、中国の失業保険制度をテーマに、計画経済から市場経済の転換に応じたこの新しい制度はどのように創出されたのか、という問題に着目しました。論文では、遼寧省と上海市という、社会経済条件が異なる両事例に共通する特徴として、中央政府の失業保険制度に関する制度設計が、地方政府、企業、労働者らのアクターの間で共有されず、またその利益連携の構造により、企業を中心とする制度へと変容を遂げた過程を論じました。本論文が扱う失業保険制度は、創出当初の1986年に、現在の失業保険という名称ではなく、資本主義的な「失業」概念と区分された、「就業を待つ」という社会主義的な「待業」の保険制度でありました。そして、「失業」という言葉が中央レベルの正式の法律規定の名称に含まれるようになったのは、1999年のことでした。この名称の変化が示すように、中国の社会主義体制において失業問題を捉えること自体は、難しさとそれをめぐる葛藤が存在し、これが中央から地方レベルの各アクターの戦略と利益関係を規定する重要な一因でもありました。こうした経緯のなかで構築された失業保険制度は、その限定的な範囲と保障機能が問題視され、社会においても他の社会保障制度に比べ、比較的注目されてこなかったのですが、今回の論文を通じて私は、こういった特徴を形成させた重層的な政治過程が、中国の社会保障制度に内在するメカニズムを理解するための切り口を提供した、と考えております。
今回の論文を含め、私は、国家と労働の関係という曖昧すぎるテーマから出発し、失業という政治体制を超え、近代社会にある程度共通する問題に対して、中国という、計画経済体制のもとで一度失業を消滅させた社会主義国家は、如何に失業問題に対処したか、という問題意識のもとで勉強しております。その中に、今回の論文は、むしろ私に多くの課題を残し、私にとっての一つの出発点であるともいえます。今回の論文の中で描こうとした失業問題の対処をめぐる利益関係は、より長い歴史から、構造は違うが失業問題が依然として深刻であった今日に至るまでの、どのように形成、変容あるいは継続されたのかなどの問題については、博士論文や今後の研究生活においても考え続けたいと思います。
今回の論文は、調査、執筆から投稿、修正に至るまでに、私にとって初めての経験が多く、迷走し続けたなかで、多くの先生方、先輩方、学友のみなさまから、ご指導、ご助言をいただきました。心から感謝を申し上げます。このような試みから生まれた本論文が、まさかこの大変名誉のある賞にご選出していただけるとは、全く想像しておりませんでした。さらに、今回のアジア政経学会70周年の記念すべき大会という貴重の場で賞を賜ることができたのも、大変光栄に存じます。今回の受賞を励みに、今後ともいっそう研究に精進して参りたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何どうぞよろしくお願いいたします。
改めまして、この度は、誠にありがとうございました。

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